五十の坂に手が届く前に、
若いころからずっと秘めてきた心残りの消えない夢がありました。
それは、映画を撮りたいという強い願望です。
新劇の演出部で修行した後、やっぱり私はアンダーグラウンドが好きだと感じ、廃墟や小劇場で活動を続けました。その後、フィルム時代の数多くのスクリーンを持つシネコンの映写室で働きました。予告編が始まると同時に、エンドロールが流れる作品の対応に追われる日々を送りました。映写機がフル稼働し、フィルムが流れているのを目の当たりにすると、それがまるで循環する血液のように感じられました。映写機は生き物のように思え、愛おしく労わる映写人を目指すようになりました。タイムスケジュールに気を使い始めると、私生活も映画のために費やすようになりました。映画上映の映写機やフィルムの扱いの所作を極めることで、私自身が映画作品の一部となり、ヒューマンエラーを防ぐことができると感じました。邪念を持たず、煩悩を捨てることで、映画上映に全てを捧げることができました。大げさに聞こえるかもしれませんが、立体音響効果のウーハーが低音の振動を自分の毛穴の中に伝え、産毛がアンテナのように立ち上がる感覚でした。振り返ると、自分自身がパルスとなって映写機と一体化していたように感じます。
ぬくまるあお
1973年生まれ
縦撮りいいんじゃない
縦でもいいんじゃない
ぬくまるの挑戦は続く